産業医とは「常に労働者が50名以上いる事業場で選任しなければいけない医師」です。産業医を選任すると、仕事環境によって精神的・身体的に悪影響を与えていないかどうか認識することができます。産業医の主な仕事は職場巡視と従業員の精神・身体の状態管理です。第三者目線から企業の状況を判断できるので結果的に従業員の人命を守ることにつながります。
産業医はなぜ必要とされているのか、その経緯から産業医と医師の違いについて知り、なぜ任命しなければいけないのかについて知識を深めましょう。産業医になるには一般の医学知識だけでなく、面談を行う際のコミュニケーション能力や、ストレスに関する知識など、必要なスキルが数多くあります。
また、産業医の雇用形態として「嘱託産業医」と「専属産業医」の2種類があります。それぞれどのような違いがあるのでしょうか?
産業医の概要
産業医の選任が必要になった理由として、社会状況の移り変わりに大きく影響を受けていることが挙げられます。産業医は一般の医師と異なり、契約先や立場、業務内容まで明確な違いがあります。
産業医の選任が必要となった経緯
なぜ産業医が必要になったのでしょうか?その経緯には、労働環境の変化があります。
以前より、工場など健康に影響を与える物質を扱う場所では、医師の選任が必要でした。危険物質などの判断は少人数では行えないうえ、健康に対してどれほど影響を与えるかの判断が難しかったからです。“工場医”と呼ばれる医師は第三者の立場からその危険性を判断し、従業員や周囲への健康的影響を指摘する医師を指していました。
工場医は主に工場を中心に勤務を行っていましたが、時代の流れに伴い一般企業でも必要とされていき、名称が工場医から産業医と変更しました。これが産業医の成り立ちとなります。
工場医が必要とされた時代背景には、高度経済成長が大きく関わっています。工場から有毒物質が廃棄され、工場の従業員や周囲の人の衛生面がよくなかったからです。
高度経済成長後、肉体的健康被害は収まったものの、反対に精神的に疾患をもつ労働者が増加傾向になりました。主な状態として、長時間労働や人間関係を始めとする“労働環境の悪化”が原因といわれています。
労働環境が悪化する最たる原因は、外部からの監査規則がないことが挙げられます。第3者の目線から指摘を行える人物がいない場合、仕事が遅れたりすると、労働時間が伸びていきます。「もうちょっとだけ…」という状態が長期間続くとどんどんエスカレートしていき、周囲の雰囲気も“残業は当たり前”といった空気ができやすくなります。このような些細なことで、労働環境は悪化してしまいます。
残業が長時間、仕事が思い通りのスケジュールで進まないといった悩みを抱えると、身体的に負担がかかるだけではありません。このような悩みや不安にさいなまれ続けると身体だけでなく、精神にも圧がかかります。また、人間関係の悪化やパワハラ・セクハラといった被害にあうことで「うつ病」になってしまうことも考えられます。
うつ病は精神病であり、人によっては周囲に気づいてもらえない可能性があります。しかしこの病気は非常に恐ろしいもので、重篤化してしまうと自ら命を断つ…といった悲しい結末を迎えてしまう可能性がある病気です。
大切な労働者の命を守るためにも、産業医の任命は必要となったのです。
産業医と医師の違い
産業医は企業に従事する医師です。産業医と医師には大きな違いがあるのはご存じでしょうか?また、雇用形態や権限も異なります。
●産業医
・契約相手 … 産業医自身と企業間で直接契約、もしくは派遣会社経由での契約
・対象 … 職場で仕事する従業員すべて(身体的・精神的に異常がない場合も含む)
・業務内容 … 従業員の作業環境、勤務時間、仕事内容による健康面への被害、休職・復職の判断
・立場 … 企業と従業員のあいだで中立の立場を維持する
・経営者への勧告権利があるので、企業側に問題があれば、助言できる
●主治医
・契約相手 … 患者としてきた人との1対1もしくは保護者との契約
・対象 … 病院や診療所に訪問した病人や受診者に対して
・業務内容 … 患者の症状などから、病気や状態を検査し診断、病気の治療
・立場 … 主治医と医師との契約なので患者の利益を優先した診察を行う
・経営者への勧告権利がないため、企業への影響力は薄い
産業に必要な要件
産業医に必要な条件は、医師としての知識はもちろん、研修や試験など一定の条件をクリアした者しかなることはできません。また、従業員のメンタル状態を見極める判断力も必須となります。
産業医に必要な能力
●「産業医」としての知識
産業医は医師です。そのため、一般的な医師しての知識も必要となります。
また、企業に携わり、助言を行わなければいけないため、医師としての知識の他にもスキルが必須です。貿易関係であれば、従業員が必ずしも日本人であるとは限らないため、外国語が話せる技術が必須になります。危険物質を取り扱う企業であれば、その物質に対する知識も必要となります。
このように、企業ごとに従業員の傾向や、職場環境が異なるため、業種に対しての深い理解も必要となります。
●メンタルヘルスが思わしくない従業員への適切な対処(面談、休職・復職)
身体的な不調は周囲から見ても比較的判断しやすいものですが、精神面の判断は非常に難しいものです。精神疾患を負っている従業員と面談を行い、現在の状態を判断して、仕事を続けるか、休職するかを判断します。
また、休職した従業員が復帰を希望した場合、通常通り業務が行える状態まで回復できたかの判断も行います。
●ストレスチェックに関しての正しい知識と理解
2015年より導入されたストレスチェック制度への正しい理解と知識があるかどうかも大切です。産業医とも深い関わりがある労働安全衛生法がこの年に改正され、一部の条件を除いてすべての労働者が年に1回ストレスチェックを行わなくてはいけなくなったのです。
この新しい制度について正しい認識をもっているかどうかも必須条件といえます。
産業医になるには?
「労働安全衛生法の第13条、第2項」にはこのように定義されています。
事業者は、前条第一項の事業場以外の事業場については、労働者の健康管理等を行うのに必要な医学に関する知識を有する医師その他厚生労働省令で定める者に労働者の健康管理等の全部または一部を行わせるように努めなければならない。
つまり、会社の経営者は従業員の身体・精神に起こりうる問題から守るために産業医が必要とされています。産業医として必要な資格は医師免許だけではないのです。
医師免許の他には、以下の条件をクリアしている必要があります。
●厚生労働大臣が指定した日本医師会、もしくは産業医科大学が行う研修を修了している
●産業医の育成を主とする産業医科大学、またはそれに相当する大学で、厚生労働大臣が指定した人物からの研修を受け、単位を修めて卒業し、その大学が行う実習を行っている
●労働衛生コンサルタント試験の保健衛生区分で合格している
●大学の教授・准教授または常勤の講師経験があり、かつ労働衛生の学科を担当したことがある(元教授も可能)
産業医として仕事を行うためには、上記4点のうちいずれかの条件をクリアしている必要があります。
また、産業医になった後、定期的に資格の更新が必要になります。産業医として求められるスキルは時代とともに変化するため、その都度研修会に参加する必要があります。
産業医の仕事内容
産業医としての職務は、従業員との面接指導、休職・復職判断の他に、健康診断や改善指導、メンタルヘルス関連など多岐に渡ります。
産業医はあくまでも「業務が行える状態かどうか」の判断を行い、労働者と企業の間に立って指導を行う医師です。そのため、診察は行わないのです。
産業医の職務内容
●定期的な健康診断の実施と、それに伴う精神・体調に疾患を覚える人との面接指導
●企業の労働者の休職・復職などの判断
●会社の作業環境・従業員の健康障害の改善指導や維持管理
●労働衛生教育に関すること
●ストレスチェックや対策などのメンタルヘルス関連
産業医はその職場の労働環境を考慮しつつ、労働者にとって負担の少ない環境づくりが職務となります。近年実施が義務付けられたストレスチェックや普段の仕事状況を通して、従業員と面談を行い、結果を意見書という形で会社の事業主へ報告します。また、定期的に開かれる安全衛生委員会への参加・指導・意見も行います。
診察がメインではない
産業医は診察を行いません。病名を特定して診断する病院所属の一般主治医とは異なり、あくまでも企業と従業員の中間にいる医師です。そのため、判断基準は「仕事が行える状態かどうか」を見ることになります。
提出する書類にも大きな差が現れます。主治医の場合は「診断書」ですが、産業医の場合は「意見書」と名称が変わります。
これは、産業医はあくまで企業や従業員の様子を見て、何か問題があれば面談を行いますが、“診察”を行わないからです。そのため診断書ではなく、意見書という形で企業に報告します。
また、産業医は従業員との面接・面談時に生活や家庭環境に関しても質問を行います。そこで得られた情報から総合的に判断を行い、事業主に報告を行います。この時、産業医は面接を行った従業員に必ず「事業主へ伝えてもよいかどうか」の質問を行います。そのため、従業員側は安心して相談できます。
産業医の雇用形態
産業医には大まかに分けて「嘱託産業医」と「専属産業医」の2種類に分類することができます。常時従業員が50~999名の場合、嘱託産業医もしくは専属産業医の選任義務が発生しますが、どちらの雇用形態で選任すればよいのでしょうか?
嘱託産業医
嘱託契約とは、医師が会社に常におらず、必要に応じてまねく契約の方法になります。
嘱託契約を行った場合、定期的に産業医が企業に訪問するようになります。ひと月に1回職場巡視を行うことが主な仕事で、職場環境や従業員が面接を求めたときなど、必要であればその都度訪問します。1回あたりの訪問時間はおよそ1時間から3時間程度の場合が多いです。
嘱託産業医が月に1回、3時間程度の訪問回数だった場合、支払う報酬は数万円程度です。金額はその産業医が訪問した回数によって変わります。また、産業医に求めるスキルや経験によっても金額変わり、要望が多いほど高額になります。
嘱託産業医は専属産業医と異なり、必要に応じて訪問してもらう形を取るため、費用を抑えやすいです。中小企業で従業員が少ないようであれば、産業医が常駐する必要はありません。短時間の訪問で済むため、委託を行う企業が多いようです。
その他に、産業医を変えやすいことが挙げられます。産業医との相性が悪かった場合、委託会社に話を通して、産業医を他の人に変えることができます。
専属産業医
常時従業員が1000名以上、もしくは特殊な職種(※)かつ500名以上の場合、専属産業医の選任の義務が発生します。
また、従業員が3000名を超えるようであれば専属産業医を2名以上選任する必要があります。
※…「労働安全衛生規則第 13 条第 1 項第 2 号」参考
イ 多量の高熱物体を取り扱う業務及び著しく暑熱な場所における業務
ロ 多量の低温物体を取り扱う業務及び著しく寒冷な場所における業務
ハ ラジウム放射線、エツクス線その他の有害放射線にさらされる業務
ニ 土石、獣毛等のじんあい又は粉末を著しく飛散する場所における業務
ホ 異常気圧下における業務
ヘ さく岩機、鋲打機等の使用によって、身体に著しい振動を与える業務
ト 重量物の取扱い等重激な業務
チ ボイラー製造等強烈な騒音を発する場所における業務
リ 坑内における業務
ヌ 深夜業を含む業務
ル 水銀、砒素、黄りん、弗化水素酸、塩酸、硝酸、硫酸、青酸、か性アルカリ、石炭酸その他これらに準ずる有害物を取り 扱う業務
ヲ 鉛、水銀、クロム、砒素、黄りん、弗化水素、塩素、塩酸、硝酸、亜硫酸、硫酸、一酸化炭素、二硫化炭素、青酸、ベン ゼン、アニリンその他これらに準ずる有害物のガス、蒸気又は粉じんを発散する場所における業務
ワ 病原体によって汚染のおそれが著しい業務
カ その他厚生労働大臣が定める業務
専属契約の場合、産業医が週に何日か常駐する形になります。一般的には1週間に3~4日、1日3時間以上産業医として勤務します。
専属契約の場合、支払う報酬は年俸数百万~一千万円程度と一般的に医療施設に勤めている医師と同額程度の費用がかかります。こちらも同様に求めるスキルや産業医としての年数によってさらに報酬が変動します。
例えば、海外との取引を主とする会社や、グローバルな会社である場合、従業員が全員日本人とは限りません。そのため、外国語などの産業医以外のスキルが求められます。
また、仕事によっては特殊な知識を求められるため、費用が高くなる傾向があります。500名以下の企業でも、求めるスキルが特殊であるほど産業医を確保しにくくなるため、専属産業医を選ぶことが多いようです。
まとめ
産業医は事業場の従業員が50名を超えた場合、選任する必要があります。
産業医の行う業務は以下の通りです。
●従業員の健康管理・精神状態を守る
●職場環境のチェック、改善の指導
●従業員の休職・復職の判断
●安全衛生委員会への参加など
産業医には「嘱託産業医」と「専属産業医」があります。それぞれ事業場の規模や状況に合わせて適切な人物の任命を行いましょう。
選任を行わなかった場合は法律違反になり、法的措置を取られる可能性がありますので、まだ任命していない事業主は事業場の状況を今一度確認する必要があります。